第二次世界大戦は総力戦と呼ばれ、あらかじめ用意していた戦争のための爆弾や戦闘機を使い尽くした後、「負けるわけにはいかない」と言って、後から、後から、武器を作りながら戦った。
松根油(しょうこんゆ)は文字通り松の根からとれる油で、当初テレピン油やクレオソート油の原料として一九三四年頃から生産がはじめられていたが、採算面で普及しなかった。しかし、太平洋戦争がはじまり、戦局が悪化の一途を辿った一九四四年になると、南方占領地からの石油の輸送が困難となり、代わりに松根油の存在が注目されることになった。
松根油は、オクタン価が高く、高高度で飛行する航空機の燃料として貴重であった。その生産には、陸・海軍省、農商省などが中心となって「松根油緊急増産運動」を展開し、全国に松根油の生産量を割り当てた。松根油は太平洋戦争が総力戦だったことを物語る具体例の一つだ。
総力戦を終わらせる目的で、長崎と広島に核爆弾が投下された。その日を境に、世界は核の時代になった――いくつかの国が核を保有する時代に。
核保有国は、私達の国に攻め込むと核爆弾で反撃するぞと脅しをかける。彼らは核を持たない国に対して、まずいくつかの国を傘下に置いて敵が来たら守る約束をする。
彼らは、どこの傘下にもいない国を侵略したり、国同士を戦わせたり、ある国の中で起きた紛争に介入したり、逆に見て見ぬふりをしたり、様々な方法で世界を動かした。
彼らに対する憤慨は時に宗教と結びつくなどして、彼らはテロリストによるテロの標的になることもあった。そして大勢の罪の無い人が殺されてしまった。核の時代は、核爆弾による戦争、核保有国同士の核戦争がとうとう起きてしまうか、世界中で核爆弾が放棄されるかいずれかの未来によって、終わるといわれている。
日本は、アメリカという核保有国の傘下にある国だ。
――日本は核保有国だ。アメリカが持っている。
これは誤解だ――しかし、日本独自の外交努力を知る人はそこまで多くない。
日本独自の外交努力とは、対ミャンマーがわかりやすいと思われる。日本とミャンマーの関係は、テレビで報道されるニュースから受ける印象とは、もしかすると異なっているかもしれない。
日本は、ミャンマーの軍事政権に肩入れしているわけではなく、関係を引きつつも、軍政と対立する民主化勢力とも対話する立場にある。日本政府の基本姿勢は「軍事政権と民主化勢力の双方と接触するが、軍政を正当化しない」というものだ。二〇二四年には、在ミャンマー日本大使の後任を置かず公使級に格下げし、軍政への距離を明確にした。一方で、在外公館・邦人保護や人道支援のため、軍政側とも実務的な連絡は継続している。
日本は民主化勢力や主要な少数民族武装組織とも面会・意見交換を行う。幅広い関係者と対話する方針を打ち出している。制裁についても、日本は欧米より穏健な立場だ。
日本は米国の核の傘に身を置きつつも、「核を持たないこと」と「孤立しないこと」を同時に満たすため、紛争当事者と広く対話し人道・邦人保護を軸に関与を続けるという中動態の外交を選んでいる。ミャンマーにおける双方接触と距離の明確化は、その試金石である。核の時代がどの出口に向かうかは未知だが、拙速な同調でも単純な善悪二分でもなく、接触を保ちながら正当化はしないという実務の積み重ねこそが、非核国として取り得る現実的な道であり、日本が持ち得る独自の抑止と信頼の資本なのである。