それでも民間人が、可能な限り事実に依拠して戦争を想定すると、生活の中にあるリスクと関連付けて、たとえば次のような言説になる。
二〇二五年一月二十八日に埼玉県八潮市で国道五十四号線の交差点が陥没した。
――八潮市の陥没事故はあそこにミサイルが落ちたのと一緒。
ならずもの国家のタカ派を恐れてばかりいないで、国民生活を鑑みるべきだ。たとえば仙台市は老朽化下水道の可視化(見える化)に取り組んでいる。こうした自治体の知恵のあるなしで話を終わらせるべきではない。道路の陥没こそ国家の課題だ。
それと同様だ――海岸線に原子力発電所を並べる日本は戦争に勝てない。
もちろん、原子爆弾が爆発することと、原子力発電所が事故を起こすことは被害が全く違う――それでも原発は攻撃目標だ。吹っ飛ばせば甚大な被害が出る。
「どうすれば日本に戦争で勝てる?」
「原発を吹っ飛ばせば、勝てる」
私が敵国の軍人ならそれしか解答用紙に書かない。
皆、「そういうのは、まあ大丈夫なのだろうな」と心の中で議論をやり過ごしている。誰も電気の無い生活など送りたくない。だから、そこから先の思考が停止している。
「外国人は犯罪をしても無罪放免だ」という日本版極右の言動と比較しても、左派の国防論的脱原発は遥かに事実に依拠している。
将棋もアマチュア二段くらいなら、「竜が出来てから後半戦」という感覚の棋士は大勢いる。日本で頭が良いとされる人――高校教師くらいでもう頭が良いことになっているだろう。彼らの中にも「戦争が起きたら戦時中」という感覚の論客は大勢いるだろう。
江戸時代に井伊直弼は不平等条約に調印した――NHKの大河ドラマで、桜田門外の変で討ち死にする際「異国に土地を奪われたいか」と呟いて死去するシーンがあった。
二度のアヘン戦争で、清(当時の中華王朝で満州族を政治中枢に置く)はイギリスに大敗した。これを知る江戸幕府の重臣の間では、「幕府は欧米に勝てない」という認識があった。だから不平等条約に調印した。こうやって戦争の前に、まず不平等条約という手法が用いられる。
それでも日本が、外国と戦争せずに開国し、その後の明治維新を迎えた理由は、欧米が維新派(改革派というべきか)を支持した事実こそ重大とされる。その経緯として「アジア系民族は抵抗した後でなければ屈服しない」と認識したうえで「日本に関しては慎重に事を進めたい」と、欧米側が判断したことが挙げられる。当時の維新派は欧米の代理戦争で、江戸幕府と戦ったようなものだ。
そのような話が、道路が陥没したり、海岸線に原発を並べていたりしたら、いつでも現代に蘇るのだ。