はじめに
産業革命は、近代法の成立と深く結びついています。この革命は国によって開始時期が異なり、イギリスでは18世紀後半に始まりました。この時期の社会科学者として著名なジェレミー・ベンタム(1748–1832)は、近代法の基礎を築いた人物の一人です。ベンタムの立法論は、功利主義を基盤に、社会的幸福の最大化を目指す法の役割を強調しました。彼の理論は、先行する思想家たち、特にトマス・ホッブズの「自然状態」や「社会契約説」を批判し、現実の社会に基づく法律の制定を求めるものでした。
ベンタムの立法論:法の拘束力をどこに求めるか
ベンタムは、法の拘束力を「自然状態」や「原始契約」といった抽象的な概念に求めることを「擬制」として批判しました。彼は、社会を個人の不完全さによる結合体とみなし、現在の法律を批判的に解釈し、改善の提案を行うことを説きました。ベンタムの立法論は、「現在存在する法」の評価と「将来の社会に必要な法」の提案という、連続的なプロセスに重点を置いています。
ホッブズが『リヴァイアサン』(1651年)で提示した「自然状態」とは、国家の不在下での混乱状態、すなわち「万人の万人に対する闘争」を指します。これに対し、ベンタムは「恐れ」や「必要」といった動機が人間を結びつけ、社会を形成すると考えました。ホッブズの理論が国家の必要性を正当化するための理論的基盤であったのに対し、ベンタムはより実践的で、現存する人間社会に基づいた立法を説いたのです。
ベンタムの立法論を現代的な視点で捉えるならば、彼の主張は「国家への自由」、すなわち法治主義のもとで個人の自由を確保しつつ、社会全体の利益を最大化するための制度設計を目指すものと解釈できます。この考え方は、民主主義社会における国民の参政権や法の支配の概念と通じるものがあります。
日本の法制度の発展と十七条憲法
法の拘束力の議論は、イギリスやヨーロッパだけでなく、日本の法制度の歴史にも通じるテーマです。日本における最初の法として知られるのは聖徳太子の十七条憲法です。この憲法は7世紀初頭に制定され、中国思想を基盤としながら、当時の内乱状態を解決し、中央集権的な国家を形成する目的がありました。ただし、この「憲法」は現代的な意味での法典ではなく、主に道徳的・倫理的指針を示すものでした。
さらに時代を遡ると、弥生時代から邪馬台国の時代にかけて、戦乱の終息を目指した原始的な法や統治の形が見られます。卑弥呼による統治は「鬼道」と呼ばれる儀式的な統治手法に基づいており、これは当時の中国思想の影響を受けたものでした。このような歴史的背景から、十七条憲法は、戦乱を抑え、より制度的な国家運営への一歩を示した重要な進展と言えます。
ブラック企業問題と連続的立法
近代法の重要性は、現代社会にも通じています。たとえば、ブラック企業問題は、法が社会の実態に対応できていない状況を象徴しています。この問題に直面する労働者たちは、現行法の限界を批判し、その改善を求めています。これこそがベンタムが説いた「現存性に基づく立法」の実例と言えます。
「連続的な立法」とは、社会に現存する問題を解決するため、法を継続的に見直し、更新していくプロセスを指します。これは、現代の国民主権や世論による政策決定のプロセスと一致します。ブラック企業問題に対する法的対策の強化は、法が社会的実態に応じて進化するべきであることを示す好例です。
結論
ジェレミー・ベンタムの立法論は、現代の法制度の基盤を考える上で重要な視座を提供します。彼の思想は、抽象的な理論よりも現実の社会に基づく法律の制定を重視する点で特徴的です。この考え方は、日本の法制度の発展や、現代の社会問題への対応にも応用可能です。ブラック企業問題やその他の社会問題への対策を通じて、法の現存性に基づく立法の重要性はますます高まっていると言えるでしょう。
制作者のあとがき