自由主義市場経済とは、多くの売手が財・サービスの品質と価格を自由に設定し、買手と折り合いがつけば買われる経済だ――日本人の日常は自由主義市場経済の一場面だ。
新自由主義とは、官業を民営化し、ゆくゆくは自由化する。そうやって、国営だった仕事を、自由主義市場経済に組み込む政治の試み――それに対応する政治イデオロギーだ。
仕事の本質は、顧客に対して商品・サービスという価値を提供し、対価を得る営みである。職種や立場が異なっても、仕事は広い意味で「価値を売る」行為であることに変わりはない。
起業家は、提供する対象への愛着と確信が希薄であれば、事業は持続しにくく、成果も安定しない。会社員経験を経て独立するいわゆる脱サラ起業においても同様であり、肩書や立場のみで市場に通用するわけではない。
むしろ経営者こそ、誰よりも自社の「売り物」に深い愛着と理解を持ち、その価値を自らの言葉で語り、社内外に伝え切る責務を負う存在である。以上の点を欠くとき、起業は困難に直面しやすいと言わざるを得ない。
そういう可哀想な起業家を大量に生み出して、マーケットの勝者だけを選抜して「〇〇業界」と豪語するのが新自由主義に則ったサプライサイド改革だ。
中学公民の教科書には「市場で競争すると製品の品質が良くなる」と書かれている。企業の勝ち負けを決めるよう仕向けると、勝った企業の製品が消費者に買われ、実際に使われる製品が高品質になると期待されるのだ。
市場で競争すると高品質になるというのは早計だ。企業は品質を追求するかもしれないが、品質には縦(クオリティ)と横(種類)がある。企業は縦ではなく、横に、市場で需要の厚い種類に特化することも起こり得るだろう。人によってはお気に入りが廃れる。
日本製のお菓子の多くに「ショートニング」という物質が含まれている。多量摂取すると心臓疾患・アレルギーを中心とする様々な健康被害を引き起こす可能性が指摘されており、食品への使用を規制する国も存在する。これだって、需要の厚いところ(味覚など)へ企業が品質を横に追求した結果だ。
一九八〇年代後半、日本は高度経済成長の終焉を迎え、国際競争に対応するために新自由主義的な経済政策を採用するようになった。これは、アメリカやイギリスが進めていた市場原理主義に倣ったもので、規制緩和や民営化が推進された。しかし、この方針が進むにつれ、日本社会には新たな格差が広がり始め、特に低所得層や安定性を重視してきた中間層が経済的に厳しくなる状況が生まれた。新自由主義は高所得層や企業に有利に働き、資本を多く持つ層には経済成長が利益をもたらした一方で、低所得層や非正規雇用の労働者には不安定な生活を強いる結果となった。
しかし、新自由主義の影響はそれだけにとどまらず、国際的なグローバリズムと共鳴し、グローバル化が進展する中で、日本の製造業は厳しい競争に直面した。八〇年代後半から九〇年代初頭にかけて、日本企業はコスト削減と競争力強化を求め、海外に生産拠点を移転する動きが加速することとなった。特に中国や東南アジア諸国への進出が目立ち、これが「産業の空洞化」として社会的な問題を引き起こした。
そして、二〇〇九年、日本は民主党政権の下で新たな政治の舵を切った。しかし、リーマンショック後の経済不安定な状況の中、円高が進行し、日本の製造業を大きな痛手に見舞うこととなった。民主党政権は、円高を抑制しようと試みたが、根本的な解決には至らず、円高はさらに続いた。これにより、輸出依存型の日本経済は競争力を失い、多くの企業が生産拠点を海外に移すことを余儀なくされた。円高は、日本企業の利益を圧迫し、特に自動車や電子機器など、日本が得意とする分野での価格競争力を低下させたのだ。
この時期、製造業の空洞化が加速し、国内の中間層の雇用状況は悪化した。特に、地方の工場や中小企業が海外移転を進める中で、国内での生産と雇用の機会は減少していった。製造業に依存していた地域経済は深刻な影響を受け、社会的な不安が広がった。低賃金の労働者や非正規雇用者は、より不安定な状況に直面し、生活が一層厳しくなった。
民主党政権下では、円高対策や産業政策の必要性が強調されたが、政治的な混乱もあり、効果的な対策を講じることができなかった。その結果、日本の製造業はさらに競争力を失い、低コスト労働を求めて海外に進出する流れが続いた。この「産業の空洞化」は、九〇年代以降のグローバリズムと新自由主義の影響が織り交ぜ合わさった結果として、経済全体に深刻な影響を与えたのだ。
新自由主義とグローバリズムは、日本だけでなく、世界中で大きな影響を与えた。この流れの中で、中国は「世界の工場」として台頭し、低コストで製造業を支える一方で、自国の経済成長を加速させていった。日本を含む先進国は、グローバリズムを推進し、多国籍企業が中国などの低賃金労働市場に進出することで、安価な製品の供給を求めた。しかし、この流れは、先進国の製造業が国内から空洞化する一因となり、特に日本では製造業の縮小が顕著になった。
中国自身も、改革開放政策の下で急速に成長し、八〇年代から外国企業の進出を積極的に受け入れ、経済特区の設立や税制優遇などで外資誘致を進めた。その結果、日本やアメリカの企業は中国に生産拠点を移し、製造業が中国に集中する一方で、日本国内では製造業の空洞化が進んだ。
このように、日本における新自由主義の政策は、一九八〇年代から二〇〇〇年代にかけて進展し、グローバリズムとの相互作用によって日本の製造業は海外に移転し、産業の空洞化が進んだ。民主党政権下での円高とその後の政策の不備も、この流れに拍車をかける結果となった。しかし、これらの問題は単に経済政策や国際環境だけによるものではなく、国内の労働市場や産業構造、さらには社会保障制度の強化といった要素も含めた全体的な対応が求められている。